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中國武術 詠春拳埼玉教室

EBMAS Art of self defense


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Wing Tzun

詠春拳とは

詠春拳 (えいしゅんけん)とは中国南派少林寺を祖とした短橋狭馬の武術である。(腕をコンパクトに使い歩幅を狭く使う。)

力に逆らわず無駄な事はしないシンプルな武術であり自然に素早く相手を制するシステムである。

詠春拳王 梁賛
詠春拳王 梁賛

詠春拳の歴史

清朝へのレジスタンス活動に関わっていると言われる南少林寺はその反清復明 闘争のために清朝の恨みを買い寺を焼き討ちされ煙へと消えた。(南少林寺は伝説上の寺と言われている。)逃げ切った少林五老の一人 五枚尼姑は蛇と鶴の戦いにインスピレーションを受け自身の武術に取り入れた。まだ名もない武術であった。

五枚尼姑の弟子、四川省で豆腐屋を営んでいた女性 厳詠春に伝わり、厳詠春の夫 梁博儔から梁蘭桂へ、紅船戯班の中国オペラの役者黄華寶・梁二娣へと伝えられた。厳詠春の名をとり詠春拳という名が付けられたとも言われているがその他にも地名や寺の永春堂で練習されていたためとも言われている。伝説であり真相はわからない。

紅船戯班の内部で伝承されてきた武術であり紅船戯班の黄華寶・梁二娣から受け継いだ後の詠春拳王と呼ばれた梁贊。梁贊は受け継いだ武術(永春拳)をまとめた人物でもあり、この頃から詠春拳と言われるようになった。武館を構えることはなく教えたのは自分の息子と信用ある僅かな弟子だけであった。

葉問 (イップ マン)

葉問宗師

1893年、広東省佛山市で裕福で立派な家庭に育つ。

13歳の時、詠春拳王と呼ばれた梁賛老師の高弟の陳華順に弟子入りをするが
お坊ちゃま育ちで華奢な葉問を本腰では教えていなかったが熱心に練習する姿に心打たれ真剣に教え始めた。
葉問は最後まで教わり続けた最年少の弟子であった。その後も葉問少年が修行出来るようにと面倒みたのは呉仲素という兄弟子であった。
その後、
16歳の葉問は香港の聖ステファン書院(St. Stephen's College)で勉学に勤しんだ。ある日、武術をやっている梁という名の男に出会うが若かった葉問は腕を試したく構え挑戦したが手も足も出なかった。
その男は陳華順の師、梁賛の次男 梁壁
だったのである。
梁壁は理論、技術も優れた武術家であり、葉問を弟子として受け入れ秘技を与えた。1918年24歳 葉問は故郷佛山にもどる。

三人の師から詠春拳を受け継いだ葉問は
独自の理論の詠春拳を確立していくことになる。

1937年~1945年日中戦争

戦後、全ての財産を失い、さらに国共内戦により身の危険を案じ
当時イギリスの植民地下にあった香港に亡命した。
1949年に香港に移り住み、生活の為、本格的に弟子をとり教授するようなり
香港で詠春拳という名が知れ渡ることとなる。

葉問口訣

念頭不正,終生不正〈拳套要求、人生寓意〉

念頭主手〈一說守〉,尋橋主腳〈與步〉
〈練習拳套目的〉

標指不出門〈拳法〉

來留去送,甩手直衝

撳頭扢尾,撳尾扢頭,中間〈飄〉膀起

正身子午,側身以膊〈為子午〉

朝面追形,而〈追形〉不追手,以形補手,
以手補形

力由地起,拳由心發,手不出門〈手不離午〉

避實擊虛 (遇實則卸,見虛即進)

畏打〈終〉須打,貪打〈終〉被打
(不畏打,不貪打〉

轉馬手先行, 上馬手先行
〈轉馬上馬,樁手先行〉

留情不出手,出手不留情
〈留情不打,打不留情〉

不挑不格,消打同時